50年も前からサラ金と呼ばれた消費者金融会社が社会問題になった。

多重債務者・一家心中・行方不明・自己破産などの不幸な事件が連日マスコミを賑わせた。それを見かねた政府も遅ればせながら「サラ金新法」というべき法律を作り、金利の上限、暴力的取立てなどの禁じ手を打った。

それと並行して泣き寝入りしていた債務者は自己破産、過払い請求という方法で抵抗した。さすが面の皮の厚いサラ金軍団も手を挙げて倒産や会社閉鎖が相次ぎ、大手も全て大手銀行の傘下に入った。

しかし、しばらく鳴りをひそめていた多重債務者が再び社会問題化し始めた。それもシニア層・若者などが目立ってきた。

街のサラ金軍団を壊滅させ、銀行という安心な大企業の仲間入りさせたはずなのに何故だ。そこには何百年も昔から変わらぬお金と人間の凄まじい世界があるからだ。

それを知るためには、今世紀にはもう2度と起こることはないであろうバブル時代の人間の欲望と傲慢さと甘えの構造を知る必要がある。そこで最初 バブル時代の紳士・淑女達の実際のドラマを再現する。

ゴーゴーと流れるマネーの世界で大人たちの辿る悲喜劇とも言える物語。そして同時にポケットマネー程度と考えていた1万円から20万円くらいまでのお金の積み重ねが債務者と債権者という、被害者がいない加害者だけの世界を作ってしまった。

そして今のままではそれはこれからも永遠に続く。

多重債務者にならないためには各個人のお金に対する緊張感のある考えを持たなければならない。「三つ子の魂百まで」という言葉通り、幼子から躾けていく必要がある。

すでに成人してしまっている大人たちには各個人が自分の収入に応じて考えるしかない。

「入るを計りて出ずるを制する」の言葉通りの生活態度が必要だ。だが、言うは易し行うのは難しい。

そこでお金と人間の根本を見つめて行くことが必要だ。

それらを自分なりに判断をして人生を破綻させることのないように行動することだ。
そのためにこれからお金とそれにまつわる話を提供していく。

「第1話」

「お金は寂しがりや」

「室井さん、7000万儲かったよ」

バブルの時代に友人の不動産屋の雨宮が嬉しそうに言った。私は

「やっと儲けたんだからその金は現金にして枕元にでも置いて一晩じっくり考えてから使い道を決めた方がいい。お金は手に入った時にどうするかが大切だからね」

だが翌朝、雨宮から電話が入った。

「あの7000万にノンバンクから3000万を借りて一億にしてある物件に手金を打ったよ。この案件がうまくいけば借金を返済しても2億位の利益がでるからね」

私の意見をまるでどこ吹く風というような明るい返事だった。

それから一年後、雨宮は最後に私の事務所に来てくれた。

ドアを開けるなり、

「すみません、ちょっと休ませてください」と言って、体を屈めてゼィゼィと肩で息をしている。

「雨宮さん、今日は帰った方がいいよ。タクシーまで送っていくよ」という私に、

「いや、大丈夫だから休ませて」

私は女性スタッフに水を持ってこさせて落ち着くのを待った。

「室井さん、あの時現金を枕元に置いてじっくり眺めて考えろって言ったよね。俺はだめだな、すぐ調子に乗っちゃって、あげくがこのザマだもの」

雨宮は寂しそうに苦笑いをした。

「雨宮さん、預金通帳の中の数字は怖いよ、現金ならもっと重みと凄みがあるから使い方も慎重になるけど、口座の中の数字は一億という0が8個付いている一行だからね」

「そうなんだよ。現金だったら100万円の束を持って歩くのだって緊張して、時々ポケットを上から押さえたりするもんね。俺は何も無くなったうえ借金が残っちゃったけど、女房と子供2人がいるのでよかったよ。女房はホテルでパートで働いているし、息子2人は高校を出て働いてくれてるしね」

「良かったじゃない雨宮さん、大抵はこういう馬鹿なことをすると女房子供は家を出ちゃうことが多いけど、雨宮さんの場合は家族がいて良かったね」

「そうだな家族が一番だよ」

「だからその一番の家族に7000万のうち1000万位は渡しておけばよかったんだよ。奥さんはそのお金を預金するなり、有効に使ったと思うよ」

「そうだね。女房の方が俺よりしっかりしてるし、毎日の食品の買い物だってスーパーのチラシを見てお金を無駄にしていないもんな」

そう言って、どこにそんな力が残っていたのかと思うほど大声で笑うと、痩せて丸めた背中を見せて帰っていった。

それから3か月後雨宮は亡くなった。

「お金とは何だ」

お金を知らない人はいない。世界中で老若男女のすべてが知っている。だが、お金のことを真剣に見たり考えたりする人はごく少数だ。

お金は当たり前のようにわれわれの身近で動き回っている。「おぎゃー」と産まれてお祝いを頂き、死んでお香典を頂く。

お金とは親よりも夫婦よりも長い付き合いをするものだ。そんな大切な身近なものだが、お金は間違った使い方をすると怖いものだということはあまり知らない。

あれば便利ということだけが強調されてきた。

お金は何千年もの間世界中で無数の人間の悲喜劇のドラマを生み出してきた。

欲望と権力と見栄と自己主張の渦巻く世界。愛と夢と情熱が犇めく世界、涙と犠牲と死が絶えず付きまとう世界、お金はいつもそこにいる。

1日たりとも、1秒たりとも欲望と野望と日常での狡さの事件が途切れることはない。そういう中で我々は毎日生活をしている。

電気光熱費・食費・家賃・住宅ローン・通信費・交通費などあげたらキリがない。だが、その内のひとつでも支払いを延滞したら生活はなりたたなくなり、悪くすると破綻者になることもあり得るのだ。

現在のようにスマートフォン・インターネットと通信の発達と便利ということを考えれば、人間同士が顔を見て判断し、決めていた時代よりも、現代はこれまででもっともお金に対して危険がいっぱいであることは事実だ。

だから、私はお金の話は苦手とか、俺は女房に任せっきりで金のことは面倒くさい、などとノンキなことを言ってないで、1度真剣に1万円札を見つめて「お金とは?」そして自分とのかかわりを考えてみては如何か。

ここで景気の好・不況に関わらず生活していくために必要な「お金」というものを見つめ直してみたい。

最初に母と子のお金のことを書いてみる。

カード社会の現在、カードの方が便利でポイントも付くということはあるが、日常に使用する程度位は、子供が小学校に入る位までは出来るだけ現金で行う方がいい。

スーパーのレジで母親の支払う現金を不思議なものを見るように子供は乳母車の中や、足元で見ている。

お金を出すと、肉や野菜、果物、お菓子、パンなどと取り替えられる。もし、1円玉を落としたらちゃんと拾うことだ。

お金を無駄にはしない。1円位、10円位と軽く」扱わない。

「あった、あった」とうれしそうに拾う姿を子供は記憶している。

一緒に探して

「ママ、あったよ」と嬉しそうに得意そうに小さな手に乗せて差し出す。

「ありがとう。えらいわね」と、子供に感謝の言葉を忘れてはならない。

間違っても

「汚れているじゃない、汚いわよ」などと言ってはならない。

その言葉は幼子のきれいな心には汚れすぎている。銀行に行きATMや窓口でお金を引き出す。共働きの夫婦もいるだろうが、もし父親が働いている場合は、

「このお金はお父さんが一生懸命働いたお給料が振り込まれたものよ。それを引き出して食事の用意をしたり、あなたのミルクやアイスクリームを買っているのよ」

と働いている父親、または母親のことを説明すべきだ。

子供たちの頭の中に、お金は誰がかが働いて入ってくるものだという認識と、それをどう使っているかということを説明するだけでお金の流れや、親が働いてくれて自分が生きているという実感がわく。

昼間からパチンコ屋に行って玉を弾いている姿や、テレビの競馬に夢中になって生活費を使ってしまう親のことも見ているのだ。子供たちを甘く見てはいけない。

お金の動きも親の言動も間違いなく記憶のアルバムに収められている。

寒い冬の日、公園でこういう場面に出くわした。3歳位の男の子が噴水のある小さな池の底に1円玉と10円玉を見つけた。

靴を脱いでそれを拾いに行った。きっと水は冷たいだろうに手を目いっぱい入れてお金を拾った。それを傍で見ていた母親に

「ママ、お金を見つけた」

と嬉しそうに差し出した。冷たさで赤くなった小さな手のひらに1円玉と10円玉が一つずつ乗っている。若い母親は

「よかったね、頑張ったね。おうちの貯金箱に入れて貯まったら何か買えるね」

「やったー」

子供はズボンのポケットに大事そうにお金を入れた。私はこの母親と男の子がお金が大切だということを実践していると思った。

子供の本を出しているある出版社の30代後半の担当者にこの話をした時、それは本に載せられない。

なぜなら、1円といえども交番や職員室に届けるのが正しい、と言うのだ。

私は驚いた。幼子の心は純粋だ。お札を見つけたり、財布を拾ったら子供は儲けたと思うより、

親に「これあったよ」「これ拾ったよ」と走ってくるはずだ。

そういう時に物事の範囲を教えるべきだ。子供が親に喜びや悲しみを率直に話しをすることが出来る環境を作ることが大切だ。

大人の勝手な建前で純粋な子供のおおらかさや個性を摘み取ってはならない。

さあ、次は大人は現金についてどう考えるか。20代から40代位の人は現金はほとんど持ち歩かないよ。カードかスマホで事足りると言うだろう。

だが、給料は計算されて銀行に振り込まれる。その中から通信費や電気光熱費が引き落としになっている人は、しっかり明細をチェックしていなければ収入より支出が上回ることになりかねなく、残高を埋めるためにキャッシングをすることになる。

某女性マネープランナーが「入るを計りて出るを制する」ための方法として、給料が振り込まれたら、必要な分(一般的には給料の大半だとおもうが)を現金で引き出し封筒に項目を「家賃」「電気代」「ガス代」「通信費」「食費」等と分けて入れる。

そして「フリー」として使途自由なものも用意するクセをつける。もちろん預金も同様である。

現金を見て自分の手元で振り分けることはお金の大切さを知るのにいい方法だと思う。何故ならどんなに便利なカードや電子マネーが普及しても各個人の収入額は決まっている。便利が収入を増やしてくれることはない。

むしろ便利はお金の使い過ぎを助長することが多いのだ。

自分の使える金額を確認するためには、1か月分の現金を引き出し、一晩じっくり考える位のお金に対する礼儀が必要だ。お金はあなたのお金に対する考え方と扱いを見ているのだ。

だから、お金を乱暴に扱い、無駄な使い方をする人のことは嫌いだからお金はその人から逃げ出してしまう。

反対にお金を大切に扱い、効率よく必要なことに使い、日常を豊に暮らしている人のところには集まろうとする。

だから昔から言うのだ。

「お金は寂しがり屋なのです。だから仲間がたくさんいるところに集まりたがります」…と。

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