第9話「どうしてこうなっちゃったのかな」

四ツ谷で20年ほどホテルに小物を卸す仕事をしていた高田が知人の紹介で相談に訪れた。

融資を頼みに来たのだが、必要書類を見せてもらいながら質問をし、私の出した結論は倒産しかないということだ。

私の意見を聞いた高田は大柄な体を震わせて不満をぶつけてきた。

「室井さん、私は20年以上頑張って来たんだ。現在の従業員は40名余り、家内が常務で経理をみて、義弟は専務で頑張っているんだ。簡単に倒産なんて言わないでくださいよ」

高田の赤鬼のような顔は怒りでピクピクと痙攣していた。

「高田さん、じゃあなんて言えばいいの。医者が血液・尿・レントゲンを撮って、これは末期だと言っているのと同じだよ。嘘は言えない」

静かに話す私の言葉にやっと落ち着いて

「室井さん、何とかなりませんか。月末まで20日あります。今月の手形を落とせれば何とかなります。その金を貸して下さい。金利は高くてもいいですよ」

30分ほど押し問答をしたが、高田も会社は持たないと分かっているのだ。最終的に明日常務である妻の小夜子と専務の鳥井と3人と会社で会うということになった。

翌日、3人を前に私は現在と今後の見通しについての考えを説明した。30分ほど質問攻めにあったが、結論として小夜子と鳥井は私に全てを任せる。高田は俺にはまだまだ応援してくれる人はいるんだから頑張る。と言って出て行った。

残された2人はそれぞれ高田の連帯保証人になっているし、自己破産しかないのはわかっている。だが、それでは将来どうやって生きて行けばいいのだ。小夜子はまだ56歳、鳥井は49歳で子供がいる。

私は手形が不渡りになる月末までの18日間にやるべきことを指示し、この期間は私と毎日打ち合わせをすることとして、小夜子に1,500万円、鳥井に1,000万円の現金が手に入るように約束した。

(その方法は説明すると長くなるし、この章の本意ではないので省略する)

翌月の1日に会社は倒産し、社員達は弁護士を頼んで未払い給料を払えと高田を吊るしあげた。小夜子も鳥井も下を向いて黙ったままだ。

高田だけがまだ再建できる。私には応援してくれる会社があると横浜のB社の名前を挙げてぶち上げたが、社員は誰一人信じる者はいない。

小夜子と鳥井の頭の中は本当に室井さんは約束した金をくれるのだろうかと、そればかりを考えていた。

それから2か月、私は小夜子と某ホテルの喫茶室で会い、1,500万円を渡した。小夜子は涙を浮かべていた。

「これで娘と2人で部屋を借りて人生をやり直せます。」

そういった小夜子の後ろ姿を見送った。鳥井は銀座の私の部屋に来てもらった。

「一人では駄目だよ、奥さんも一緒に」

と言ったので夫婦でやって来た。

奥さんとは住まいのマンションの法的準備をする時に一度自宅で会っているが、会社に来るのは初めてだ。

入って来るとキョロキョロと辺りを見渡し、意外と整理されていて有線放送でジャズが静かに流れているのに少し驚いたようだった。

会議用の6人掛けのテーブルに2人と向かい合ってから最終書類と受領書(但し、これは当社も鳥井も税務上は使用しない。

お互いの確認のためのものだ)を書いてもらい、もちろん奥さんにも署名をもらってから、銀行の封がしてある現金1,000万円を二人の目の前に置いた。

奥さんの最初の一声は

「あなた本当だったのね」

だった。鳥井が得意そうに言った。

「だから言っただろう、室井さんは信用できるって」

今日ここに来るまでの数か月、2人がどんな会話と争いをしていたかが私にはよく分かった。

現金を奥さんが大きなバッグに入れると、胸に抱くようにして2人は出て行った。それから何日かして高田から電話が入った。高田の声は震えていた。

「今横浜なんですが、これからすぐ銀座に向かいますから会ってください」と言うと、

私の返事を待たずに電話を切った。

会社に飛び込んできた高田は、普段から汗かきではあるがびっしょりとYシャツに汗が染みていて、顔は赤黒かった。

コーヒーを出させてから少し間をおいて

「どうしたんですか。もう私には用事はないのでは」

と言うと高田は早口でまくし立てた。

「横浜の応援してくれるB社の話をしたでしょう、今日出直しの挨拶に行ったら、いつも紳士だった社長が人が変わったように、『ふざけるな高田、一銭も持たずに手ぶらで来て御託を並べているんじゃないよ。腕の一本もへし折ってやろうか』って怒りまくるんです」

それで高田はその会社を出て、慌てて私に電話をしてきたのだ。

「高田さん、おかしいのはあなたの方でしょう。負債40億というのはその金額分だけ迷惑をかけられている人達や会社があるってことでしょう。中には連鎖倒産や、今年はボーナスを出せない会社もあるでしょう。

お宅の40人の社員だってこの年末どう過ごすの。それなのに何が応援者がいるからもう一度勝負だ、じゃないでしょう。

B社の社長だって長い目で見てやる、応援する等とやさしい言葉を言ったのは長い付き合いだから、うちの貸金は少しでも入金してくれるだろうと思っていたのに、一銭も持たずもう一度やり直すので協力を頼みますじゃ、怒るのは当たり前でしょう」

「だけど、あの社長には私はもう何もない。四ツ谷の自宅マンションにも担保が目いっぱいついていて競売になっても借金は返せないですと、前に説明してあるんですよ。

この20年間B社には相当儲けさせているんだ。それだから『分かった、応援する』と言ってくれたんだ。

納得できないと高田は首を傾げた。

「高田さん、長く経営者をやってきて年間何億という売り上げがあったのにあなたは金のことも人の心も全くわかってないね。

債権者はあなたが何もないと言ったって、少しはどこかに隠してあるんじゃないか、どこかで工面していくらか持って来るんじゃないかと期待しているんだよ。

そうして優しい言葉を言って入金させていって、本当に何もないと確信したら今日みたいに脅す腹でしょう。

ところが、今日すでに手ぶらで口だけ頑張ってる等と言ってもね。まあ、B社の社長も高田さんを買いかぶっていたってことだから、今頃自己嫌悪になっているよ。

高田さん、2か月前奥さんと義弟さんが初対面の私の話を何故信用したと思う。2人だって街の金融会社の経営者の私を信用して委任するのは両刃の剣のリスクがあるのを知っているよ。

だけど、この10年余り、高田さんの俺の会社だ、どうなろうと俺の勝手だという経営につくづく嫌気がさしていたんでしょう。

この20年以上奥さんは会社のためにやりたいことを我慢していた筈だよ。バブルの最中は高田さんのネオン街の遊びも社員への傲慢な態度にも耐えて来たんだよ。

それがいつも俺が作った会社だと、喚かれてはね。確かに最後に代表者は全ての責任・借金を負うよね。

だけど、見てごらんよ、あの2人も連帯保証人ということで億という借金を背負ったんだよ。それに対して謝罪も感謝もしていないでしょう。

私は2か月2人と毎日のように会ってよく分かったね。

だから、どっちを選んでもリスクがあるなら、夢の持てる金が手に入る方を選んだだけだよ。実際2人はある程度のお金は獲得できたよ」

黙って私を睨みながら話を聞いていた高田がいきなり言った。

「室井さん、私も自己破産します」

「だけど高田さん、40億の借金だよ。サラリーマンやOLが何百万かで破産するのとは理由が違う。弁護士費用(裁判所への印紙税等含む)だけでも何百万もかかるけど、お金はあるの」

「いや、家内にお金を渡してくれたでしょう、それを借りるので頼みます」

「高田さん、あれは小夜子さんのお金だよ。私は頼めない」

翌朝小夜子から電話が入った。

「室井さん、こんなことってあるの、一晩中脅したりすかしたりして責められたわ。馬鹿馬鹿しいけど今度だけ助けることにしました。いくらかかるんですか」

私の説明に、

「じゃあ、銀行に振り込みます。私の名前ではまずいので、娘の名前で送ります。だけど、ついでにもう一つお願いがあるの。あの人と別れさせて!」

知人の弁護士に高田の自己破産申請を済ませた後、夕闇の迫る銀座の街を歩きながら考えた。不渡りの出る半月前、

「娘の結婚式が終わるまで倒産を延ばせませんか」

「娘さんの結婚式が終わって何日かで倒産するわけでしょう、娘さんはどう思うの。来賓のお客様にはどう説明するの。両親として入り口に立ってお客様に笑顔で挨拶できるの、来週倒産するのに」

私の言葉に高田はうつむいた。

青山のジャズクラブで半年前、高田は娘と娘の婚約者と同席していた。高田はふんぞり返って婚約者に言った。

「いいか、これからは君の時代だからな。俺の作り上げたものは全て君に渡す。だから娘をよろしくな」

そう言って豪快に笑ったという。この話はたまたま親しくしていたその店のママが私の知人だったのでそこから聞いた。ママは

「高田さんて威張り腐って私は嫌いなタイプだったわね。だけど婚約者も倒産会社の借金の山を譲られても困るでしょうね」

と小さく笑ったが、このママにも数年経ってお金の修羅場が待っているのをこの時のママは知らない。

打ち合わせが終わった深夜、駐車場に向かう途中の信号待ちで、隣で高田のつぶやきが聞こえた。

「どうしてこうなっちゃったのかな」

「現金とは特別なもの」

平和時の日常で、お金が絡まない人間関係において、私は性善説だと思っている。

地方でも、都会でも紹介されて出会う人達、PTAの父兄や、町内のお祭り、他のイベントなどで会っても利害関係のない者同士だと、楽しく過ごせる人が大半だ。

もちろん、自分にとって苦手なタイプや鼻につく傲慢な人とか意地悪な奴、見栄っ張りな人というように十人十色だが、感じ方は性善説といっていい。

ところが、そこに金が介在すると一変する。私は金融業を50年近くやってきた。金融につきものの督促を業務とする男性社員にいつも言っていたことは、

「どんな相手でも居直った時の顔を想像するんだぞ」

「社長、あんな年寄りや若い女の人でも居直るんですか」

不思議そうに訊いてきた。

「そうだよ。女性の涙も男の土下座も居直りなんだ。何も大の字になって、さあ殺せ、好きにしろ、というのだけが居直りじゃない」

と答えたものだ。

正当な理由や答えを出すのではなく、その場を逃れるためにすることは全て居直りだ」と説明した。

入社して3か月以内に全員が、

「社長の言う通りでした。人って変わるんですね」

と驚いた表情で報告してきた。お金が絡むと何故、人は変わってしまうのか。お金の持っている魔力のせいだ。

薄型テレビが欲しくて店員は殺さない。パソコンが欲しい、ゲーム機が欲しいからと言って店主を殺さない。

だが、現金のためにはタクシーの運転手を殺したり、わずかな金の為にお年寄りを殺す。お金とは怖いものだと思う。

お金と人間との間には商品が介在しない。

現金だけのおりなす貸金業の世界は、外部の人からみると危険で、怪しげで、常に加害者側にいる人間と思われているようだ。

確かに金と人間だけという隙のない取引だ。抜き身の刀のように危険を含んでいるのかも知れない。

例えば、薄型テレビを買って代金を支払わない客や、車を買って金を払わない客から販売業者が、それらの商品を引き上げるとする。

隣近所の人がそれを見ていても客に同情はしない。お金も払えないのにあんな高価なものを買って、と業者の方に同情する。

飲食代を取りに行く。玄関口で大きな声で口論して揉めていても、近所の人は客に同情はしない。お金も払えないのに飲むなんてバカみたい、と批判したりする。

金融業者が貸金を取りに行く。玄関口でお客(債務者)の財布から金を出させる。

「これは自分の金じゃないんです。友人から預かっている金です」

等と弁解するのを

「ふざけるな!」

と言って、何千円か何万円か回収するのを見て近所の人は、

「可哀そう、悪い人達から金を借りちゃって」

等と、興味津々ながら債務者に同情し、金融業者には白い目を向ける。状況によっては、パトカーでも呼んでやる、という顔さえする。

この現金の貸借という存在、これは凄まじいものだ。

例えば、100万円の車を引き上げられても仕方がない、という顔をする客が、現金で1万円を回収しても反抗的で、恨みがましい目をする。時には小競り合いになることもある。

現金はありがたく、また使い方を間違えると怖いものだ。

「油断大敵」

私は金のビジネスの究極の場面では性悪説をとる。預かった金が30万手元にある人がいる。預かった金だから、一週間後には返還するものだ。

だが、預かっている金でも手元にあると、気が大きくなる人も少なくない。一週間後に補えばいいのだからと、その中の1万円を使ってしまう人だっている。

1万円を使った時の欲望は魅力的だった。翌日また使ってしまった。

こうなると、歌の文句じゃないけれどどうにも止まらない。半分位の金を流用したら何とか金を作って補うことを考えるより、返還出来ない言い訳を考えたりする。

「どうも体の具合が悪いので」

と、返還のための日を延期するとか、

「友人に頼まれてどうしようもなくて半分貸してしまった。自分の責任なので、毎月2万円ずつ返すので待ってくれないか」

等と言い訳が続く。中には落とした、盗まれた、という理由をつける人もいる。

そのうち、預けた人が我慢出来ず、しつこく請求したりすると争いがエスカレートして、お金を預かった方が相手を殺すことだってある。

新聞記事や週刊誌の事件を見れば分かる。お金の返済や支払いの言い訳のためにとんでもない事件を起こす。大半は貸して請求した方が殺されている。

金を取られた上に命も取られるのでは、全く割に合わない。

毎日のニュースの中で見る殺人事件というものは、稀に愛情の葛藤が原因になるが、ほとんどが表向きも裏側もドロドロとした金銭のもつれが原因だ。

僅かなお金のために身寄りのないお年寄りを殺したり、肉親や友人、果ては恋人まで殺めるケースすらある。

自分の子供を殺した母親は、直接子供との金の問題ではないが、生活苦という、お金に窮する中で起こすこともある。

毎月の安定した収入で日常を過ごせたらそんな気にならなかったかもしれない。

私は世の中で一番大切なものがお金だとは思っていないし、思いたくもない。だが、資本主義という世界で生きる上では、お金がなくては不便だ。必要最小限のお金がなければ、愛する者を守ることが出来ない。

お金がなければ、地獄を見るようなこともある。逆にお金で人を救うことも出来る。病気の種類によっては、高額治療で命を救うことも出来るのだ。

テレビドラマや小説では、お金の絡みで殺人があったり、破産して夜逃げをした場合でも、ラストはドラマチックに犯人を捕まえたり、時には法廷の中で真犯人が分かったりするという都合のいい結末を迎える。

又は、

「お父さん、お母さんごめんなさい」

と謝る娘と抱き合って泣いて決着となるが、現実はそうはいかない。

被害者も加害者もそれぞれの家族もその後の人生を生き続けなくてはならないのだから大変なことだ。

現在の警察の検挙率を考えると、半分以上の殺人者や詐欺師たちが捕まらないでいる。
今、目の前を歩いているかもしれない。逃走中の殺人犯が隣の部屋に住んでいるかも知れない。

だから、お金が絡んだ世界ではその金額の多少にかかわらず、最新の注意をもって生きなければならない。

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