第10話「あなたは稼いでいる時何を考えたか」

「室井さん、100か200万位俺に投げてよ(貸してくれという意味)200万や300万の金は投げ銭だよ」

と大物ぶって金のことを軽く口にする。

「俺も銀行から80億借りた実績のある男だよ。200万や300万の金で逃げたりしないよ」

岩本はバブルの頂点に80億借りたことは出来たが、それを返済した実績はない。

バブル期の高い価格で投資用に買ったいくつかの物件を担保をつけている金融機関にバブル崩壊後の安値で強制的に売らされた。

売却された金は全て返済に充てられたが、現在も借入残は20億以上残っている。

バブル期に建てた鎌倉の豪邸もたっぷりノンバンクの抵当権がついていて、競売寸前だ。

競売後も17・8億の借金は残り一生追われることは岩本も私も百も承知だが、本人はまだこんなことを言っている。

「俺の鎌倉の自宅だってノンバンクの担当者、競売なんか実行出来ないんだよ。俺の前に来ると、あれは会社の都合上つけているけど、法的執行はやる気はないんですなんて言って、ペコペコしてやがんだ。

だから、今、俺が勝負している物件の立ち退きが済めば、投げてもらった500万(いつの間にか借りようとしている金額が300万円から増えてきている)」

10分位の会話の最初の部分はもう岩本の頭にはない。黙って聞いている私を見て、これは借りられるかもしれないぞ。

だったら、金額は多い方がいいと考えたようだ。岩本は狡そうな目で上目遣いに私を見て、

「うまくいったら倍返しで1,000万円を室井さんに払うよ」

と卑屈な笑みを浮かべて古くなって肩幅がやけに大きく見える高級スーツの胸を張った。

もちろん、こんな男に1,000円でも貸す気はない。長時間のしつこい説明にもNOと答えた。

岩本は「室井さんも腹が小せえよなあ、儲かる話なのに」

と捨て台詞を残して出て行った。それから2年経った時、岩本から電話が来た。

「久しぶり室井さん、急ぎの金を欲しがっている奴がいるんだ。1,000万円投げてやってよ。もちろん、俺が保証するからさ」

やれやれ、何が保証するだ、と思いながら、

「岩本さん、それより鎌倉の豪邸はどうしたの。調べたらもう別の会社の名義になっているじゃないの」

岩本はうっと声に詰まったが、さすが嘘つき名人だ。

「ああ、あれはノンバンクの担当者が短期間の間関係会社の名義にしといてくれって頭下げてきたから渡してやったんだ。俺が必要な時はいつでも戻せるんだ」

「だけど、岩本さんあの家は奥さんが気に入っているから絶対売らないんだと言っていただろう」

「いや、女房もやはり家が大きすぎて掃除も大変だし、小さなマンションにでも移りたいって言うしね」

さあ、皆さんどう思いますか、この口のうまい岩本一男のことを。あなたの周囲にもいるはずですよ。ご用心、ご用心!

「夢ある時代からバブルへ」

私は40年以上、金と人間の関わりを見てきた。昭和45年頃が、日本人の熱く若々しい資本主義のピークだった気がする。

戦争に負けて戦地から帰った者、焼け野原の東京でどう生きていくか、広島や長崎は原爆という悲惨な中から立ち上がって来た。

昭和20年から45年頃までは、まだまだ法律的にも経済が守られていない雑な国家だった。良い意味では、金儲けのチャンスもいっぱいあったということだ。

だから、政治家と手を組んだりして利権を貪る事業家や、一般人の無知や弱みに付け込んだり、経済感覚に疎い貴族階級といわれる者達の資産を言葉巧みに近づき、タダ同然で手に入れて、一大財閥を作り上げた者がいたことは確かだ。

しかし、ほとんどの日本人は何もない祖国で勇気をもって愛する者を守り、食わせるため必死で働いた。

荒削りの経済競争の中で不足している食べ物や、生活していくための不便さを地域の住民同士が助け合い、協力し合うという形で乗り越えてきた。

そこには誰もが等しく持っていた気遣いと道徳があった。

だから、当時の映画やテレビドラマの中にも男らしさや女らしさ、人間の美学というものがたくさん詰まっていた。

その時代の映画やテレビ番組には、お年寄りを笑いのネタにし、人気を得ようとする卑しい芸人はいなかった。

人を冷かしたり、登場人物をいじめて喜ぶ等という、おふざけ番組のようなものはなく、見ている人達も空虚な傍観主義とは違って、これからの人生に夢と希望を持って、自分達の一人一人が目いっぱい社会に、企業に、漁業、農業すべてに参加して生きて来た。

昭和30年代から50年代まであった、中学生の集団就職の実態には、夢も哀しみもいっぱい詰まっていた。食べるために働くということは、決して貧乏感ではなく、生きるための強い目的になっていた。

私の友人のOは中卒の集団就職で上京した。住み込みで月給は3,000円だった。その中から1,000円を田舎の家に送った。2歳年上の兄を高校に行かせるためだ。

このOは30年後に100億を目指し、26億まで金を儲けたが、引き際を間違えて転がり落ちた山あり谷ありの人生を送った。

その後、実家に帰り、年老いた母親と夫婦で暮らしている。先日田舎に帰った時に会ったが、母親は亡くなっていた。

Oが上京した頃の話を聞いた。その時にこの1,000円を実家に送った話がでた。給料の3分の1の1,000円だったが、でも、全然嫌じゃなかった、むしろ金を送れる自分が嬉しかった、と懐かしそうに言っていた。

1,000円を送ることが出来る喜び、100億を目指し、全てを失う。それが同一人物の50年間に起きたことだ。

お金とはそういうものだ。そういうお金だから、あの時代我々がお金を儲けたい、という気持ちが募っても嫌らしくはなかった。

純粋に上の生活を夢見て、愛する家族のことを考えていた。

それは、ギャンブルがしたい、おしゃれがしたい、という自分中心の考え方とは基本から違っていたのだ。

もちろん、その若者達も中高年になるまでに汚れてしまった者も数多い。

だが、高度経済成長で力をつけ始めた日本人が、物質的に豊かな暮らしを求め始めてきた時、お金というものがこころより先を行くようになってしまったことは確かだ。

だが、今だって、世界中で発展途上国の人々は日本のようになりたいと思い、それを目指して努力している。ということは、日本人が持ち始めたお金が一番ということもあながち間違いではない。

だが、それがエスカレートして、お金が先を行きすぎ、こころが置いてけぼりをされた時、いつか国は弱体化する。

何故なら、経済力を強くするためにはこころが基本であり、始まりだからだ。だから、適切な教育と正しい道徳が必要なのだ。

昭和40年代中頃から15年余り、物質主義は続き、自動車、電気製品、造船、鉄鋼、弱電メーカーから流通、サービス等が拡大して、庶民が目いっぱい楽しみを享楽できる世の中になった。

海外旅行も盛んで、お金を持ってハワイやパリに大挙して出かけ、顰蹙を買っていたのもこの頃だ。

しかし、アメリカに次ぐ第2位の経済大国と言われた日本は、戦線を広げた太平洋戦争のように雲行きが怪しくなって来た。

これはまずい、ということでアメリカからの圧力もあったが、国は金融機関を中心に金を洪水のように貸し付けることを考え、実行した。

確か、霞が関ビル20棟分以上のビルのフロアが不足するということが発端で、バブルが始まった。バブルは昭和60年位から始まり、平成元年か2年にピークになった。

お金と心を考えるなら、このバブル期は外せない。

数年前東京の銀座や青山を中心にミニバブルが起きていたことは確かだが、あのバブルの時代に比べたら、そのバブルは可愛いものだ。

現在のマンションや土地の値上がりは大都会を中心としたものだが、あのバブルの頃は、ゴルフ場・リゾート施設・リゾートマンションと、全国隅々まで行き渡っていた。

そしてバブルの頃、総資産は何千億といわれた成金達が大勢いた。そして、ほとんどはバブル崩壊後の5年以内に消えた。

ここでは、そういう資産のことではなく、バブルの時だけ咲いてすぐ消える花火のようなお金にまつわる、切なくも悲しい滑稽な人々の話をしよう。

「成金経営者」

バブル時代に見て来た話しをしておこう。

私が一人で銀座のカウンターバーで飲んでいた時に典型的なバブルの紳士が車のキーを回しながら入って来た。

カウンターの中のママが、

「いらっしゃいませ、〇〇様。お忙しいですか」

と、笑顔で挨拶した。その客はふんぞり返るようにして、傲慢な言い方で答えた。

「おう、どの店のことだ」

私は思わず隣の客と顔を見合わせた。このバブル紳士は自分がいくつも店を持っていることを吹聴したいのだということがわかった。

知らない者どうしだったが、隣の経営者らしい紳士も苦笑していた。ママは聞かなきゃよかったわ、という表情をすると、私に目で話した。

「こういう人ばっかり。昨日今日、銀座に出てきたくせに」

そんな周囲の目になど気づくはずのないその男はホステスに

「おい、下に止めて来たけど、駐車違反は大丈夫か」とキーをちらつかせた。ポーターにチップを渡して見張ってもらうか、銀座の700台止められる地下駐車場に入れてくればいいことだ。

だが、自分の乗って来た高級車を見てほしいのだから始末が悪い。だが、こんな客ばかりだった。持ちなれない奴に金を持たせた時代があのバブルだ。

「にわか不動産屋」

バブルの時、国内の自動車販売会社もセールスに出なくても、店で待っていれば客が来る。欲しい車を手に入れるために3か月待ち、半年待ちと言われて客が待った時代だ。

セールスマンもこんな楽な時代は今までなかった。客が下取り車の価格の交渉をしてくると、そんなことを言っているとすぐ新車は回ってきませんよ、とまで言っていたのだ。

真夏の暑い日差しの銀座4丁目の交差点。

ハンカチで汗を拭く若い女性など、大勢の信号待ちの人々の前をエアコンをつけているのに不思議なのだが、窓を目いっぱい開けてゆっくりと運転していくバブル紳士か、そのバカ息子。

横断歩道の方を向いているのだから否応なしに、皆の目が車に注がれている。大勢の目を意識しているのが見え見えなのだが、素知らぬ顔を崩さずにいる。

今は外車も珍しくないが、その高級外車はやっと金を掴んだバブルの紳士やその家族にとってはステータスだったのだ。

私の知人でにわか不動産屋(この頃は、本職の仕事より不動産の取引に絡んだ方が儲かると言って、不動産に関係なかった人達も参入していた。

家庭の主婦でも、知り合いの土地の紹介をするだけで、何百万も稼いだ人もいた)と結婚した女性A子と久しぶりで食事をした。

夫が仲介で億の金を稼いだので、郊外に大豪邸を買ったという。

車は夫がベンツ、自分はBMW。それと、ドーベルマンを2頭買ったので、犬用に赤いBMWのワゴン、と大いに幸せをアピールして帰った。

バブル崩壊後1年足らずでその夫は行方不明、車2台は車金融屋に取られてしまい、犬用の赤いBMWで私を訪ねて来た。

家を追い出されて板橋のマンションに移ったけれど、家賃が払えない。絵を持っているので買ってほしいとのことだった。

私は社員と2人でA子のマンションを訪ねた。

行方不明の夫が画商に言われるまま買ったという油絵と、リトグラフが押し入れにたくさん入っていた。

油絵関係は夫が逃げる時に持って行かなかっただけあって、本物かどうか私には見分けがつかないので、見慣れていたダリ等のリトグラフを引き取った。

「助かるわ、室井さん。ところで、車買ってくれないかしら」

と、今はいなくなったドーベルマン用の車を勧められたが、丁寧にお断りした。

押し入れから10点ほどのリトグラフを出すのに苦労した。何しろ大豪邸から持ってきた超特大の洋服ダンスだ。

ベッドと応接セットとこの3つだけで2Kの部屋はいっぱいだ。私達はベッドと応接セットの上を歩いているようなものだ。

その後も連絡が来て、2度ほど何点かのリトグラフを買わせてもらった。A子は明るく性格のいい女性だ。

現在はデパートで働いていると言っていた。経済状態は破綻しているが、何とか切り抜けてほしいと思った。

「金は持っているぞ、バブル紳士」

並木通りで3年ほど前は5千円の金にも困っていた不動産業者と出会った。

「社長、久しぶり。いろいろ世話になったのでご馳走させてください」

と誘われた。意地の悪そうな若いホステスを従えている。

「いや、自分の金で飲むからいいよ」

断る私を強引にとあるクラブに連れて行った。自分の力を誇示したいのだろう。

「その節はお世話になりました」

と、口では言っているが、全然感謝の気持ちなどなく、どうだ、昔の俺じゃないんだと言いたげにふんぞり返っている。

「何を飲みます?」

と言って、ブランデー・ウィスキー・シャンパンまで出させている。私はブランデーをもらってホラ話を聞いていた。

この店でさんざん金は使っているのだろうが、挨拶に来たママの目は冷ややかだった。名うての銀座のママだ、人を見抜く目は持っている。

この男は今だけね。長い間続けて来てくれる客とは思っていないのかも知れない。

1時間ほどして私が失礼すると言って帰ろうとすると、

「ああ、俺も次の店で約束があるので一緒に出るから」

と不動産屋は金を払おうとした。銀座はつけがきくのが一般的だが、あの頃は現金をアタッシェケースにいっぱい詰めて飲み歩いているのも結構いたのだ。

「どっちで払おうかな」

と不動産屋が言っているので、私は小切手かカードか現金にするかで迷っているのかと思っていたが、とんでもなかった。

上着の両方の内ポケットに100万の束を入れていて、それを見せびらかすようにして、それらのうちのどちらで払おうかということらしい。

「迷っているなら一束もらってやるよ」

私が手を出すと、

「いや、いや」

とテレ笑いをして、片方の束を出して封を切ると、札を数えて

「釣りはいい」

と言って黒服のウェイターに渡していた。

もちろん、ここに出て来たバブルの紳士たちは、バブル崩壊後2年も経たないうちに、アガサ・クリスティの小説じゃないが、

「そして誰もいなくなった」

私が言いたいのは、こういう人間たちに天下の大銀行が湯水のように金を貸したということだ。

そういう意味では、話題になった東京都の石原慎太郎肝入りの新銀行東京への貸付の方法は、20年経っても何も学習していないといえる。

金銭の貸借は、借りて払えない債務者はもちろん加害者だが、ロクな調査もせずに人様から預かった金を貸付する債権者も加害者なのだ。被害者のいない加害者同士の契約といえる。

金の性格は前にも書いた通りだ。こういう債務者も債権者も金は嫌う筈だから、バブル崩壊後株式と不動産を合計すると1,000兆円の金が逃げてしまったのだ。

1,000兆円とは、20歳以下の人口を除くと、大人一人が1,000万円の金を失ったことになる。

バブル崩壊後、倒産した会社の社長の自宅に督促に行くと、夫婦でバブルに酔っていた連中も大勢いたが、大半は旦那だけが外でバブルに酔ってホステスにプレゼントをしたり、外車を乗り回しゴルフ三昧を過ごしていたが、家族は違っていた。

応対に出たある奥さんの言葉で、

「うちの人にはバブルはあったけど、私や子供にバブルは関係ありませんでした。生活は依然と変わっていませんでしたよ」

ある家では、20歳の息子と女房が出てきてこう言った。

「うちの親父が仕事で成功するとは思っていなかったよ。おふくろと二人でどうせつぶれるよって言ってたんだ。そしたら、

こうしてあんた達借金取りがやって来たもんね。俺とおふくろの想像どおりだね。あいつはもう何か月も連絡がないよ。ああいう男に金をかしたんだから、お宅たちも甘いんじゃないの」

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