第13話「多重債務者ファイルNo,2」

前の話のような多額な借り入れの人たちではないが、もう2つ多重債務者の話をする。私の出身は栃木県黒磯市で3つの市が合併して那須塩原市となった。

地方にもサラ金の嵐は吹きまくっていた。私も宇都宮市の県庁の近くに店を出していた。

そんな関係で親戚から金のトラブルによる問題はよく相談を受けていた。そのひとつが40代の小松という男だ。

1回目の多重債務の時は実家の母親が清算したのだが、再び多重債務を作り、そのことで奥さんの実家の従兄弟から相談が来た。

私は2回目だから助けてはいけない、もう放っておきなさい。と言ったが、

「今回は私達ではダメなので、室井さんが金融会社と交渉してくれませんか。お金は用意しますので」

とのことだった。話の内容を聞いてからこう伝えた。

「小松は特に悪い。その上ずるがしこい。だから小松の借金癖は直りません。

それと、あなた方が立て替えて払うと小松の借金はゼロになるので現在貸している会社も、まだ貸していない星の数ほどのサラ金会社も小松に貸したがります。

この業界はそういうものです。

私が現在小松が借りている会社にもう貸さないでくれと頼んでみても、貸出をしないのはそのうちの数社だけでしょう。

あとは無理です。どこも貸付残の数字を上げたいですからね。借金がゼロになっていれば貸しまくりますよ」

といくら説明しても、何とか助けてくれというので、私は2回目の多重債務の清算をしてやった。

それから半年、従弟から電話が入った。

「室井さんの言う通りでした。小松はまたやりました。女房は離婚させましたが、またサラ金会社から借金をしました。

今回の額は小さいのですが、よりにもよって通行人の女性のハンドバッグを引っ手繰って、今警察に留置されているのです。

親戚中で会議をして保釈金を出そうということになったのですが、そういうことはなんとも不得手なので、室井さん、協力をしてくれませんか」

「前回言ったようにお断りします。仏の顔も3度までというけど、私は人間なので2度でいいでしょう。

それと、皆さんも助けてはいけません。初犯ですからおそらく執行猶予が付くでしょうから、少し留置所で頭を冷やさせたほうがいい」

私の決心が固いのを知って従兄弟は諦めて電話を切った。

それから数日後いとこから電話があった。

「室井さん、やはりダメでした。どうしようもないですね。金にだらしない奴は直りませんね」

こういうことだ、親族会議を開いて保釈金をだしてやり、小松を実家に連れて帰り、親戚一同でお灸をすえてから一筆書かせて、もう今後は絶対に借りないということを約束させようと保釈で出る日、親戚代表者数人で警察署の前で小松が出てくるのを待っていた。

いつまでたっても小松が出てこない。

しびれを切らして受付に行き、まだでしょうか、と聞くと受付係が奥に行って調べると

「もう一時間前に出ましたよ」

「表からは世間体が悪いので裏からお願いします」

と言って、裏口から出て行ったとのこと。

その後、小松の消息は知らない。従兄弟もここまでやられて初めて気が付いたのだろう。いや、もしかしてまた泣きつかれたら…。

次の話は

私の友人で某広告会社の取締役までやって、退職後はジャズの会を友人達と立ち上げ、ボランティア的に年に2回ジャズコンサートを開催していた長田という人がいた。

会の代表の長田は男っ気のある体育会系で、人の面倒見がよかった。そういう義理に厚く約束事を守る男には子供が2人いた。

姉は両親に似てきちんとしていたが、弟の方は困った長男だった。

ある日コンサートが終わって、関係者とミュージシャンの仲間で打ち上げのパーティをしている時長田が、

「室井さん、ちょっと相談があるのですが…」

と言って、私を別室に呼んで辛そうな表情で話しをしてきた。

「息子の治彦がサラ金に借金ばかりしてもう何度か助けてはいるんだけど、またやっちゃったので、もう私にはどうにもならなくて、銀行の預金も残り少なくなったので、室井さんから治彦に強く注意をしてもらって、サラ金会社にももう貸さないようにしてもらえませんか」

私は長田と親しいし、共通のジャズのギタリストの友人も口添えするので、今回助けてもまた借金しますよ、ということと、ジャパンデータバンクにブラックで登録して貸出禁止にしても、データバンクに入会していない小規模なサラ金は山ほどあるし、信販や金融機関のキャッシングもデータが別だし、本人が自分の意志で借りることをやめなければ無理だということを重々説明してから引き受けた。

数日後長男の治彦がやって来た。父親に似て背が高く、野球をやっていたというだけあってスポーツマンでなかなかのイケメンだった。

42歳で妻と子供が2人の家族だ。

治彦の目の前から各サラ金に電話をして今後は貸付をしないことを約束させてから、今まで見てきた悲惨な債務者の話も聞かせたが、私の見た感じでは、率直に

「はい、分かりました。もう父には迷惑はかけません」

と繰り返しているが、他の多重債務者と同じで誠実さと強い意志を感じるものではなかった。

私はスタッフに各サラ金への金を振り込みに行かせたが、この金は生きないな、無駄金になるなと治彦の父親の顔を思い出していた。

それから半年、長田の辛そうな声が電話の向こうに聞こえた。

「室井さんの言った通りです。治彦がまたやってしまって、嫁が子供を連れて実家に帰ると言っています。

おそらく離婚でしょう。もう私達夫婦も預金はほとんどないので、親しくしている地元の信用金庫から家を担保に必要なお金を借りたので、もう1度だけ、もう1度だけ協力してください」

私はもう何も言うことはなかった。

「分かりました。やってみます」

と、虚しい返事をした。

三日後、治彦と妻の奈々が会社にやって来た。6人掛けの会議テーブルの向いに治彦と奈々が座った。

治彦は少しやつれていたが、奈々の若い頃はアイドルのように可愛い女性だったのではという面影を残していたが、目の周りにクマがあって夜眠っていないのだろう。

充血した目で初めて会う私をボンヤリ見ていた。義父の長田に説得されてここに座っているのだろう。

奈々がここにいるというのが、父の最後の責任と儚い願いの表れだと思うと、私は治彦を怒鳴りつけたくなったが、治彦の表情には悪びれているということも、恥ずかしさもなかった。

何年も、いや10年以上借金をし続けてきた人間特有の人の意見等聞く気もなければ反省もない。

ただ、妻の奈々の前で私に注意されることへの気まずさと、それが終われば父が今回の借金も払ってくれるのだという許しがたい甘えがあるだけだ。

「治彦さん、何でこう繰り返してしまうの。飲みに行っても割り勘にするとか、コンビニで買って家飲みとか出来ないの」

「ええ、そうなんですが、飲みに行くと部下や同僚についご馳走してしまうんですよ。どうしてもええ格好をしちゃって」

治彦のような男は多いのは分かっている。私の目が気になったのだろう。

「父にももう助けない。室井さんに判断してもらう、と言われるし、母にはお前なんか家を出ていけと言われるし、姉にはあんたなんか死んじゃいなさいとまで言われているんです」

治彦は私の顔と奈々の横顔をチラチラと見ながら言った。事務所に入ってきてから挨拶以外一言も口をきかない奈々に声をかけた。

「治彦さんはこんなことを言っていますけどいいんですか」

奈々は真っすぐ前を向いたまま

「いいんです。私はもう半年以上口をきいたこともありませんから」

この時だけ奈々の大きな目が強い光を見せた。が、すぐまた元のどうでもいいという目に変わった。

それから1年位経った年末、長田から年賀状を失礼するというはがきが届いた。そこには次のような文が載っていた。


喪中につき年末年始の
ご挨拶失礼させていただきます

長男 治彦が10月30日 45歳にて永眠いたしました。
ここに本年中に賜りましたご厚情を深謝申し上げ明年も変わらぬご交誼のほどお願い申し上げます

平成22年〇月〇日

長田浩二


スポーツマンだった治彦の明るい顔と、子供を2人連れて実家に帰った奈々の悲しげで投げやりな大きな目が蘇った。

そして長田が治彦を肩車して夏祭りの屋台をのぞきながら豪快な笑い声で知人と談笑している姿が目に浮かんだ。

「お金か愛か」

「愛情はなくなっても生きていけるけど、お金がなくなったら1日も生きていけない。一体どっちが大切なのよ」

と言った女性がいた。

そんな時、私は次の事件を思い出した。

平成18年6月18日、母の介護に疲れた塚田某(56歳)が母親(86歳)を殺し、自殺を図ったが死にきれず逮捕された。

塚田は仕事を辞めて母親の介護をしていたが、金が尽きて家賃の3万円も払えず、もうこれ以上面倒を見られない、と母親を殺し、自分も死のうと決心した。

その事件の当日、子供の頃楽しく過ごした京都の繁華街を母親の車椅子を押して歩いた。心の中で助けを求めていたが、声にならなかった。だが、母子での道行は嬉しかったという。

母親も何も食べていない。塚田も2日前に1回食事をしただけだが、2人は昔話をしながら、楽しそうに雑踏の中を歩いた。そして川のそばに着いた。

川岸で最後の時、塚田は母親に尋ねた。

「いいのか、死んでも」

母親は弱々しい笑顔を見せた。だが、母親の顔に迷いはなかった。

「お前と一緒だから、かまへん」

と答えて、塚田の頭を撫でた。

塚田は泣きながら母親の首を絞めた。母親は死亡くなり、塚田は死にきれずに生き残った。

経済大国といわれ、公共工事のために何兆円も使う国で起きたことだ。

これでいいのか。金よりも大切なもの、金よりも半歩先にある大切なものを私は知っている。

だが、こんな時金があったら、そんなに大それた金じゃない。1日3食食べて、家賃の3万円が払える金だ。

だが、冷たい言い方をすれば、50代にもなった男が、いままでの人生で金のことを考えたことはなかったのか。

金が欲しい、必要だ。一方的に自分の欲望からの金のことを考えたのは毎日だったかも知れない。

だが、もう少し前に、せめて10年前に金の大切さをしっかり見つめるべきだったのではないか。

役所の生活保護はどうだったのか、または、預金がある程度あった時もあった筈だ。もちろん、こんな日が来るとは本人も予想はしないかも知れない。

だが、人生を考える時予想できることなどほとんどないのだ。自分の生活状況を安定させ維持する努力を怠ってはならない。

あの名優チャップリンもこう言っている。

「人生に3つの大事あり、1に夢・2に勇気・3にマネー」

あの名作を作り出したチャップリンといえども、夢を実現するためにはお金がなければならないということだ。

いい仕事をした人ほどお金の大切さを知っている筈だ。

私がここ50年以上見てきた人達の中にも生活が破綻して、生活保護のお世話になっている人は結構いる。

しかし、その人達の若い時から現在までを長い年月見ていると、高度経済成長の中で、それぞれ必ず経済的に安定している年月を過ごしている。

中にはかなりの資産を持った人も少なくない。要は、そういう余裕のあった時にどう生きたか、どう生きようとしたのか、ということになる。

そんな時期に世界で食べ物が食べられない人達が何億人もいた。安全な飲み水さえ手に入らない人が10億人以上いた。

戦争で地雷のため足や腕を吹き飛ばされた何の罪もない子供達も数えきれない。

そんなニュースや出来事を他人事のように感じていたのか。

自分だけは今もこれからも金が稼げて、その稼ぎは増えていき、永遠だとでも思っていたのか。

つい最近もテレビで放映された社会保険料や、介護の番組に出た中小企業の社長が言っていた。

「40年も仕事をしてきているが、こんな不景気が来るとは思わなかった」

と、保険料が納められずにいる自分のことを嘆いていた。神様じゃないのだから、この社長の言うことも分からないではない。

だが、40年仕事をしてきたら、第一次オイルショック、第二次オイルショックなどの経済危機や、為替の変動等を味わってきているはずだ。

まして、バブル崩壊以後に10年の間には毎日のように大企業さえ倒産する話、大量のリストラをしてやっと生き延びる大中小の企業のことは毎日のようにメディアに出ていた。

友人知人に会っても、倒産した、夜逃げしたなどの話は日常茶飯事だ。

その中にいて、なぜ、「こんな不景気がくるとは思わなかった」なのだ。

私の身内に役人と結婚して30年経ったC子という女性がいる。学生時代から優秀で、C子を見習えと担任の教師に言われたものだ。

バブルが崩壊して4~5年経った頃、C子と電話で話をしていたら、

「忠道さん、世間は不景気だっていうけど本当?」

と聞かれた。

私はびっくりした。あの頭のいいC子がニュースを見ていないのか、新聞を読んでいないのか、いや見ていても対岸の火事という具合なのだろう。

C子の家は給料が下がることもなく、どんな時でもボーナスも出る。

人間は自分の身に危険が及ばないとこんなにも気遣いや緊張感がなくなるのか。私は頭脳明晰なC子のことが分からなくなった。

話を戻そう。さっきの経営者のことだ。

資本主義で40年も生きている経営者だ。自分がやっていける時は他人の不幸なニュースは気にならないのか。

もし、少しでも気になったら、経営体質を強くするために無駄をなくし、早目のリストラをし、売れるものは出来るだけ売って借金を減らし、できれば現金預金を増やし、身軽になって不景気に備えるべきだ。

物理的にも精神的にも余裕のある時期に、自分は愛する者を一生守っていくためにはどういう日常を過ごし、どういう準備をするか。これが最低限の条件だ。

いつまでも良い時が続くことなどあり得ないのは世界の歴史を振り返れば分かるのはもちろんのこと、日本のこの100年を見ただけでも分かるはずだ。

経済の変動はもちろん、法律や税法の改正・天変地異・交通事故や思わぬ病気と、人生は危険が付きまとっている。

「一寸先は闇」という言葉さえある。

まして、借金だらけの国で、政治家や官僚が有効な手を打たず、自分の保身、保全に汲々としていることは百も承知の筈だ。

この荒々しく冷たい資本主義の中で、愛する者を守るということを真面目に考える時間を持っていたら、もっと違う人生があったかも知れない。

私の会社の近くに、もう何年も住み着いているホームレスがいた。

私の朝は早い。7時半頃、ビニールの塊の前に座っている60代と思しきホームレスの前を通りすぎる時、いつも電線に止っている鳩に向かって話しかけているのだ。

こんな声が聞こえてきた。

「…そうだろう。どっちにしても生きていかなきゃなんねえからな!」

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